大橋淳一先生を偲んで – 南山常盤会
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恩師の近況

2020年9月24日

大橋淳一先生を偲んで

2020年4月30日、恩師・大橋淳一先生が逝去されました。南山中・高を退職後、常盤会同好会「ときわ句会」を創設され、長きにわたり、ご指導くださいました先生に、教え子の鈴木憲さん(S07)と横山昭子さん(G14)から追悼の言葉が届きました。

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「淳一先生を偲ぶ」
鈴木憲(S07)

昭和23年の春、幼な顔の残る中学一年生の担任となられたのが、青春の気概あふれる淳一先生でした。

南山の教師となられるほんの2〜3年前、先生は一生忘れることのできない原子爆弾の惨禍を目の当たりにされました。そのため、担当の国語の授業に際し、その惨状を縷々と(注:るると/途切れることなく細く長くの意味)語られて我々に強い衝撃を与え、いつの間にか生徒の間では先生のことを「ピカドン」と呼ぶようになりました。

諸兄ご存知のごとく、強い信念に基づくこだわりと、あくなき探究心をもって、我々を指導してくださいました。中でも南山の在学生に対しては、常に「地の塩たれ」と諭されました。

私の高校時代の経験を顧みると、その頃、顧問を務めておられた演劇部の活動についても、その性格を遺憾なく発揮され、部活動の完全なる帰結とそれを得るための不断の努力を続けることの大切さを身をもって教えてくださいました。

このときの活動で得た私の信条は、他人に対しては常に寛大であるべきこと、弱者に対しては思慮深くあるべきこと、自分を犠牲にすることをいとわないこと等であります。

また、常に非暴力であることーそのために先生の声が大きくなったとの説もありますがーも徹底して教えられました。

卒業後は、しばらくお逢いすることはありませんでしたが、退職後に催された演劇部のOB会の折に、常盤会同好会の俳句の会への入会を勧められ、余暇の消化とボケ防止にはなろうかとの魂胆で入会しました。

このように、いい加減な動機で入会し、右も左もわからない者に対し、手取り足取りのご教授をいただくと同時に、温かい励ましを賜りました事は、私にとって千載一遇の機会であり、大きな因縁を感じるところであります。

最近、ようやく俳句としての形を整えることができるようになり、先生のお眼鏡に適うかなと感じるときになって、はからずも急逝されました事は、私にとって、まさに青天の霹靂とも言うべき出来事であります。もう少し長くと念じるのは、私のみではないと思います。

先生のご逝去に際して、追悼の思いを込め拙い一文を記し、偉大な淳一先生を偲ぶ言葉といたします。

先生 どうもありがとうございました。そしてこれからも、彼の地で俳句つくりを楽しまれることを祈っております。

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「信じるところを貫かれた先生」
横山昭子(G14)

雨月集作家として活躍された先生は、後進の指導にも力を注がれ、先生のお骨折りで、平成14年3月、南山高校男子部女子部同窓生による、「南山ときわ句会」が発足しました。今年4月、先生が身罷られ、その喪失感はあまりにも大きいのですが、先生をお偲びしつつ、現在の会員11人で、何とか変わらず和気藹藹、作句に励んでいます。

先生は「生きた写生による、ものの真髄に触れ得た俳句」をモットーに吟行を奨励されました。吟行の都度、ご自身で入念な下調べ、下見をされ、その用意周到ぶりにも先生のご性格が思われました。

私の部屋隅の函に眠る桜貝、蛇の衣、水鶏笛、むくろじ、ちゃんちゃんもどきの実、瓢の実、鵜の羽、鷹の羽・・どれを手に取っても、先生にお連れいただいた近場、遠出の吟行の折り折りが蘇ります。

殊に大切にされたのが、伊良湖岬での旅吟です。20数年に亘り、9月から10月にかけて、先生は熱心に伊良湖へ通われました。その頃、サシバ、ハチクマの勇姿を見ようと、バードウォッチャー、カメラマン、歌人、俳人、多くの老若男女が伊良湖に集まります。私も先生、句仲間とご一緒して数度訪れました。日出の石門の上空、神韻縹渺とした暁光の中を、サシバが流るるごとく渡る景は、えも言われず、目を瞠りました。恋路ヶ浜に立ち、息を呑んで壮大な鷹柱を仰ぐ僥倖に恵まれたことも。

一方、先生は、吟行だけではなく、毎月の句会の為の句材作り、句材集めにも余念無く取り組まれました。我々に成長過程を見せよう、生きた写生をと、ご自宅の庭で句材になるような様々な植物、野菜を地植え鉢植えして栽培しておられました。3月の季語「慈姑掘る」を実践させる為に、特大の盥を購入し良質の土を入れ、種球からお育てに。先生が手ぶらで句会に臨まれることはなく、山谷で採ってこられた浦島草、蝮草、銀竜草、伝手を頼りに取り寄せられた仏手柑等も持参され、風趣豊かな句座卓でした。

今年2月5日の南山ときわ句会終了後、先生より、ご自身の余命が半年であることを告げられました。「最期まで頑張る。」のお言葉を、身の引き締まる思いで承りました。しかしながら、その後も、まずまずのご体調を保持され、2月9日には、解脱寺、徳源寺の吟行までも。

ご逝去の8日前の小一時間のお電話が、先生のお声をお聞きする最後となりました。「コロナ禍中の通信句会の自習用に、今、資料を用意しているところだ。」と、しっかりした口調でいらしたのですが。最後まで身をもって、信ずるところを貫かれた先生。武家の妻女のごとく先生を支えられた奥様に、深く感謝されつつ、悠然と旅立たれたことでしょう。

熱意溢るるご指導、家族のような温かいご交誼をたまわった来し方を振返り、万感胸に迫るものがあります。

先生、まことに有難うございました。いつの日かお会いできますね。先生との句談義の続きを楽しみにしています。

【私の選んだ先生の八句】

夢に出て水乞ふ子らや原爆忌

水与へ得ざりし悔や原爆忌

払暁の空や鷹湧く伊良湖岬

渡る鷹いま七千を数ふとや

鷹柱太し太しと手をかざす

怒涛に向き鵯逆落しまさしくす

大空に雲かと湧きて鵯渡る

山に入り帰らざる人時鳥

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