2008/4 宇治屋 – Nanzan Tokiwakai Web
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タウンぶらぶら歩きTown BURABURA Walking

南山タウンに広告掲載されているお店や会社の訪問記

2008年4月24日

2008/4 宇治屋

名古屋の老舗のなかでも280年続いているお店は何件もありません。

今月はS7の双子のご兄弟である野崎博さん、洋二さんの「宇治屋」さんを訪ねました。当日は野崎博さんとご長男S39康生さんにお話をお伺いしました。

元々は京都・宇治でお茶を商っておられ、代々宇治屋三郎右衛門を称し、三代目が覚々斎原叟の門人で茶道具の鑑識に優れていたことから、享保年間(1716-35)に尾張徳川家の招きにより名古屋へ移り、お茶とともの茶道具を扱うようになったとのこと。

当時の名古屋ではお茶は金森宗和流が盛んでしたが、当時の豪商の方が京都の千家へお茶を習いに行かれ名古屋に表千家が伝わったそうです。名古屋の家元で ある松尾流も享保9年初代松尾楽只斎宗二が表千家より派遣され、たびたび京都と名古屋を往復して茶道普及に努め尾張藩の御用を勤めるようになりました。

戦前までは、御幸本町(現在の丸の内三丁目)で商いされていましたが、空襲で焼け出され現在の瑞穂区へ移転されました。昭和12年、博さんのお爺さまが四 日市にあった旧家を譲り受けられていたものを戦後現在の地に建築されました。当時はまだ田辺通も未舗装であり交通の便も不便な場所でしたが、お客様はみな さんタクシーを利用され来店されていたといいます。
実際の建物を店舗として使われているのは、茶道具は使うためのお道具であり、お客様に寛いでゆっくり時間をかけて茶道具に触れていただくため。
ショーウィンドウに並べた商品をご覧いただくのではなく、お座敷で実物を見たり触ったりすることができます。

いつもお客様を迎えられるようにお座敷に通していただき、さっそく康生さんのお手前で薄茶をいただきました。
「茶道における礼儀作法という文化」、「文化財である茶道具」を日本の伝統としてどう保存し後世へ伝えて行くかを実践されていることに感銘しました。
お茶道具を専門で扱われるお店は日本でも数えるほどになっています。そろそろお茶道具でもと思われる方は、名古屋美術倶楽部で開催されている「名美アートフェア」(6月)と「数寄の市」(12月)へお出かけください。
また康生さんは近年茶道、華道などに携わる人々との交流を通して、伝統文化への入口を広めようとされております。
ますますのご活躍を祈念します。

≪建物すべてが文化財≫

住宅街の一角に生け垣に囲まれ、築地塀のなかに端正なたたずまいの門。
お父さまが大工さんともに奈良に見に行かれて作られたもので、「上土門(揚土門)」と呼ばれ本来は屋根には土が載せられていました。現在は銅板で屋根が葺かれています。 奈良の法隆寺西園院の上土門が有名。
表札には「莵道舎」(たたずまい)と書かれています。

門をくぐり木々の間をしばらく行くと玄関。

案内されたお座敷の床には、小堀遠州書の掛軸。
「一花開天下春」。

一輪の花が天下の春を告げる。

桃山期の本金砂子が蒔かれた襖絵。

本金市松模様の風炉先、棚、蒔絵の炉縁、釜。

玄関に置かれた、土佐派の衝立。


お庭には、熱田神宮にある信長塀と呼ばれる、土と石灰を油で練り固め瓦を積み重ねた築地塀。


庭の木々の間に見える織部燈籠(キリシタン燈籠)。

(文責:尾関 写真:吉田))

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