2010/3 アウト ガレリア ”ルーチェ” – Nanzan Tokiwakai Web
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2010年3月26日

2010/3 アウト ガレリア ”ルーチェ”

厳しい寒さも緩みかけた初春のある日、名東スポーツセンター北のアウト ガレリア ”ルーチェ”さんを取材しました。
アウト ガレリア ”ルーチェ”のあるオリエンタルビル極楽NORTHは、メルマガ31号(2008年5月)でレポートしたリストランテ・エストさんと同じ建物にあり、経営母体も同じオリエンタルビル株式会社です。
建物の中程の赤い階段を上がり、屋内に入ると、右はミニカーショップ、左にはカウンター、奥が展示スペースになっています。

アウト ガレリア “ルーチェ”のあるオリエンタルビル極楽NORTH

カウンター奥のデスクで仕事をされていたディレクターの平松正光さん(S49)にお話をうかがいました。


「アウト ガレリア ルーチェ」の「アウト ガレリア」は、イタリア語で「オート ギャラリー」。「ルーチェ」は、「光」という意味で、正光さんのお名前に因まれているのでしょうか?
こちらでは、1年に3回、3ヶ月ずつ自動車に関する企画展示を行っています。

展示のテーマは、クルマに関わるものならなんでも、という多彩さ。一例をあげると、自動車画家、コミック作家から、ル・マンなどのレース、愛知万博イタリア館で展示されたホワイトチョコレートコーティング仕様のFIATチンクエント、フェラーリなどのメーカーにちなむものまで。目指すのは、クルマの「速さ」「美しさ」「歴史」を訴えることができる展示です。
こういった企画の案を考えることは大変そうです。平松さんは、一つの企画展示を行っている最中から次の企画を考えはじめる、というよりも、考えざるを得ず、考え出すと夜も眠れない、と言われます。継続して考えること。他にない企画展示が続けられているパワーの源がそこにあるのかもしれません。


展示場の準備もご自分でされることが多いと言われましたが、展示を見せていただくにつけ、その方がよほど大変と感じました。ところが、平松さんにとっては、案さえ決まれば、手を動かして作ること、その他の手配はさほど難しいことではなく、むしろ楽しいと言われます。今回のように、世界に2台(日本に1台)しかないような車種にしても、どこにあるか探すことは難しくないと言われます。この感覚は、私たち部外者にとっては全く実感できません。インターネット万能の時代でも、ネット上に無い情報はたくさんあります。さすが、前職のネコ・パブリッシング(車関係の雑誌も出版している雑誌編集会社)以来の、長年のご経験というところでしょうか。


展示スペースでは、クルマ本体以外にも、説明や小物の展示など、展示の効果を上げるためのワキ役も重要です。これらのほとんどは、企画・デザインについてはご自分で、そして実際の制作(説明文などの)もご自分でされることもあると言われます。いかに主役の「クルマ」を引き立たせるか。展示スペース背景や床の色・素材、配色の比率にまでこだわりをみせます。スペースの保護に使っている手すりですら、汎用品は使用せず、高さや雰囲気の合ったステンレス製のオリジナルを設計され、使用されています。

お話を伺っていると、大変な数の「ひらめき」が頭の中を飛び交っているようです。その「ひらめき」を、現実の行動に変えていくものは、「集中力」と「粘り強さ」です。「無いものをゼロから創りだすこと、方程式にないことを考えだすことが大好き!」と仰います。
そんな平松さんに、「車」の魅力について伺ってみました。
「今は、若者の車離れが進んでいます。刺激は、車に求めなくても、他にいっぱい ある。単に、車が、人やモノを運ぶ移動手段になっていることも。けれど、体に直に伝わってくる「振動」だったり、「エンジン音」だったり、視覚に訴える「フォルムの美」だったり、車が、ユーザーに語りかけてくる「神秘」が、たまらないですね。
エコカーは、今のところ、音もなく近寄ってくる危険性や無機質さなど、クルマとしての魅力に欠ける点もありますが、メーカーには、電気にしかできないところを生かして、遊び心を忘れず、頑張ってもらいたいですね」と、真の「車マニア」の声がかえってきました。
ここまでの話では、平松さんはモノ造りにこだわられている理系出身、と思われるでしょう。ところが、南山高校在学中は、特に数学は苦手だったそうです。
故中島裕先生の元、美術には非常に集中できたそうで、名古屋芸術大学に進学され、日本画を専攻されました。「クルマの展示」という仕事も、ただ車を並べるだけではなく、展示空間をキャンバスに見立てた「アート」であるという、平松さんの芸術スタイルの秘密がここにあります。
写真・絵画・自動車という興味は、平松潤一郎さん(S20)のご次男としての、ご自分の生まれ育った環境が影響しているのでは、と尋ねると、むしろ反対、と言われます。例えばクルマについては、子どもの頃は、フェラーリに乗る時や触れるときにも、ずいぶん気をつけるように言われたことから、むしろ「迷惑な存在」だったということ。ご自分で運転をするようになり、クルマを1台乗りつぶしたころから徐々に興味がわきはじめ、その自動車を改造してサーキットを巡るまでになられたそうです。
分野こそお父様と同じような方面に興味を持たれているとはいえ、オリエンタルビルの社会貢献活動の一環としての「クルマ文化の振興」を、個性的な企画展示で実現していく良い形ができているようにみえます。
平松さんのご家族、ご親戚には、南山生が大変多いとうかがいました。それぞれ皆さんが社会で活躍されている様子をうかがうことは、取材をしているときに最も嬉しいことです。「ここでも南山生が!」

終わりに、今回お邪魔した時に展示されていたクルマをお見せしましょう。
Cisitalia(チシタリア)
ピエロ・ドゥジオが、第二次世界大戦終了後いちはやく興したスポーツカーメーカー。ピエロドゥジオはアルゼンチン人で、繊維業界で成功して大富豪となっていたため、資金的に戦後のモノのない時代にクルマを作ることができたと思われるが、レースへの過大な投資から運営資金難となり、10年も経たずに倒産した。ピエロ・ドゥジオはその後アルゼンチンへと移り、時の権力者ペロン大統領の依頼により、cisitaliaの名を冠したアルゼンチン製の国民車を製造した。
Cisitariaに関わったイタリア自動車業界の著名人も多い。
ちなみに、Abarthは、カルロ・アバルトがCisitaliaのレース部門を引き継いだものである。

Cisitalia 202 SCは、Cisitaliaの代表的モデルで、「動く彫刻」と評価されてニューヨーク近代美術館の永久コレクションに加えられている。
ジョヴァンニ・サヴォヌッツィの基本デザインにピニンファリーナが手直しをして生産モデルとした。当時から「小さな宝石」と名声が高かった。
今回は、3モデルが展示された。

この企画展示「Great History of Little Cisitalia 〜イタリアの至宝、チシタリアの輝き〜」は、4月18日まで開催されています。詳しくは、アウト ガレリア “ルーチェ” のホームページをご覧下さい。

(文責:川島、取材:阿部、塩野崎、川島)

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