vol. 103 岩野 祥子(G40)「南極に行って人生が変わった」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2015年8月24日

vol. 103 岩野 祥子(G40)「南極に行って人生が変わった」

 日本南極地域観測隊、越冬隊として、南極で2度越冬し、通算2年4か月を南極で
暮らしました。人生が変わりました。何が変わるって、ものごとを捉えるときの
スケール感が変わります。「わたしは地球に暮らしています」「わたしの命の
背景には、46億年の地球の歴史があります」。ひとこと、いや、ふたことで表現
すると、こんな感じになります。「わたしは奈良に住んでいて、今40歳です」という
代わりに。
 
 南山を卒業し、大学に進み、途中南極に行っていた期間を除けば、普通の
サラリーマンとして約8年、会社勤めをしました。普通の人生…のはずでしたが、
南極を知ってしまったことで変わってしまった自分の価値観が、サラリーマンとして
生きていくことにNOと言いました。それなりの期間、熟考した結果、今年の1月で
サラリーマンを辞めました。
 
 自分のことを振り返ると、だいぶ頑固で、だいぶわがままで、だいぶ思い上がった
人間として長期間過ごしてきたなと思います。そんなわたしに南極は良く効く注射を
打ってくれました。南極に2度も行かせてもらえたことへの感謝、それを可能にして
くれた環境への感謝、他の人にはできない経験をさせてもらった人間としての役割って
なんだろう?そういった思いから、「いかに生きるべきか」ということを、寝ても
覚めても考えるようになりました。
 
 2回目の南極以降、わたしの頭の中をぐるぐる廻っている思考は、「この地球上で、
人々がより長い期間、より幸せに暮らしていくにはどうしたらいいのだろう」という
ことです。自分さえよければそれでよい、という思考回路すら持っていた人間と
しては、思いがけず、人生のテーマが遠大になり、そのこと自体にも感謝する日々
です。
 
 サラリーマンを辞めた理由はいくつかあります。会社の存続や、お金の価値に対する
信頼感が薄れたこと。定年になったときに仕事ができなくなるのが嫌だと思ったこと。
会社のルールに縛られて自分がすべきと思うことが堂々とできないなんてなんだか
おかしい。自分の人生は自分でアレンジしたい!そんなこんなです。わたしは
サラリーマン家庭に生まれたので、お金と物を交換することでしか、これまで生きて
来ませんでした。自ら食べ物を生産し、あるいは採取して生きていく術を知らない。
そのことにあるとき気づき、愕然としましたし、恐ろしくなりました。
 
 親の世代(団塊の世代前後)は戦後の復興期に就職し、バリバリ働いてきた世代
です。給料は上がるものだし、世の中は便利になる一方、この成長が止まるなんて
発想すら浮かばなかったと、この世代の方から聞いたことがあります。この世代が
たくましいのは、そうなる前の困窮の時代も経験していることで、生き抜く力や智恵を
礎として持っていることです。
 
 一方、わたしたちの世代は、お金がなくなったとしたら生きていく自信がまったく
ありません。それなのにこの先の社会については、不安要素ばかりが語られます。
子ども時代、親世代の感覚に染まり安心しきって成長しただけに、自分で働くように
なり、自分たちの先の暮らしを見据えたときの不安感・失望感といったらありません
でした。「地球温暖化」「異常気象」「少子高齢化」「人間が制御できない科学技術」
「食料自給率の低下」「世界の人口増加」。そんなキーワードばかりを目にします。
 
 日本および世界には本気になって向き合わなければいけない課題が山積みなのに、
会社勤めの中では会社の利益や経営者の夢の実現にエネルギーを搾取されるばかりで、
若者たちは自分自身の夢すら抱けません。社会のことを考える時間も気力もないのに
行動なんて起こせるはずがありません。南極を知ったことで、地球規模でものごとを
考えるようになった自分の思想と、そんな自分が身を置く現実とのギャップに次第に
耐えられなくなりました。幸か不幸か…というところですね。
 
 年をとった政治家たちがいまだに「経済成長」一点張りで政策を行う姿勢には辟易
します。時代が違う。世代も違う。世代ごとの感覚のギャップは本当に大きいです。
親と子ですらわかりあえません。時代感覚のずれた政治家がいつまでも現役にしがみ
つき、将来の有り方にまで口を出すことはやめた方がいいとわたしは思います。
これからどういう社会を構築するのか、どういう国を作るのか、人類は地球といかに
調和して生きるのか。そういった課題には、これからを生きる世代が力を合わせて取り
組むべきだと思います。このことは自分自身の問題に他なりません。「あなたはどう
生きるのですか」。わたしが常に自分自身に問いかけ続けているゆえんです。
 
 さて、サラリーマンを辞めてどうしているかと言えば、農業の世界に首を突っ込んで
います。自分自身がこの先、「社会がどのようになっても生きていくための自信を
つける」ために、まずは、「食べ物を自力で得る」技術を身につけたいと思いました。
この4月から農業の世界に飛び込み、農業という営みがいかに過酷か、賃金がいかに
低いか、よくわかりました。この世界に新たに人を呼び込むには、相当の工夫がいる
だろうということもよくわかりました。ただ、たった4か月ですが、「食べていける」
と思えるようになりました。「生きていける、大丈夫」。そう思えたことはわたしに
とっては大きいです。今はこの感覚のもと、具体的な行動につなげるためにはどう
したらいいかを模索しています。
 
 農業の世界を覗いたことで、日本の食糧自給率39%が他の先進国と比べて格段に
低いこと(カナダ259%、オーストラリア205%、フランス129%、アメリカ
127%、ドイツ92%、イギリス72%)や、遺伝子組み換え作物の危険性、特定の
企業が金儲けのために世界の食糧を支配しようとしている現実などについても知る
ことができました。こういった問題に触れたことがないという方はぜひ、「食料
自給率」「遺伝子組み換え」「モンサント社」「ラウンドアップ」「TPP」などの
キーワードで調べてみてください。知ることで行動が変わります。心からお願い
します。
 
 これまでわたしが取り組んできたテーマは「南極」と「防災」でした。具体的には、
講演会で南極や地球のことを伝え、「地球に寄り添った暮らし方について考え
ませんか」と呼びかけたり、防災士としての活動を通して、人々がより安心して
暮らせるよう、防災訓練や防災イベントなどで地域のみなさんへの防災教育・啓蒙活動
などに取り組んだりしてきました。これからは、「南極」と「防災」に、「農業」
すなわち「食」が加わります。農業の世界を知ったとき、「南極」と「防災」と
「農業」は、切り口は違っても目指すところは同じだと感じました。人々がより長く
平穏に暮らしていくこと。そのために必要なのは、地球規模で物事を考えることで
あり、地域のつながりであり、生き抜く力です。グローバルな視点でローカルを
充実させていくこと。これをベースに自分なりの模索を続けていこうと思って
います。
 
 
岩野祥子プロフィール
1993年 南山高校卒業
1998年 京都大学理学部卒業
2000年 京都大学大学院理学研究科修士課程修了
2000年?2002年 第42次日本南極地域観測隊(越冬地学隊員)
2005年 京都大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)
2006年?2008年 第48次日本南極地域観測隊(同上)
現在、農業研修中
奈良県安心・安全まちづくりアドバイザー
NPO法人奈良県防災士会 理事(経理担当)

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