vol. 111 内藤 理恵子(G45)「中学受験という体験」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2016年6月29日

vol. 111 内藤 理恵子(G45)「中学受験という体験」

 私はいまだに「中学受験」という、自分にとっての特異な経験がうまく消化できずに
います。OBの皆様には、それがごく自然なことであった方もいらっしゃると
思いますが、郊外の田舎町に住んでいた私にとっては、手探りで獣道を往くような
経験だったのです。
 
 私立中学受験を意識し始めたのは、小学校1年の頃でした。担任の先生に私立中学の
存在と、それを受験することを勧められたのです。私には読書の趣味と、内に籠る
性質がありました。そのような性質の子供であるから私立中学を受験した方がいいと
言われても幼い私にはよく理解できず、首をかしげましたが、楽しい子供時代を諦めて
イバラの道を進まねばならぬと覚悟を決めました。
 
 ところが当時、周囲に聞いても「十年くらい前に、うちの小学校から南山女子部に
進学したものがいたらしい」という都市伝説のような話しか聞けず、はたして
そのようなことが実現するのか皆目見当もつきませんでした。
 
 本格的な受験勉強を開始したのは小学校4年のことでした。鶴と亀が競い合ったり、
図形の面積を求めたり、日本国内の特産品を覚えたり、歴史の年号を覚えたりする
ことがなぜ将来を切り拓くのか、初めは疑問しかありませんでしたが、そのような
受験制度そのものに疑問を持つよりも、自分が渦中に飛び込んで夢中で問題に
没入する方が得策であろうと思い、それにより、いつかこの面倒な作業の成果が良い
形で戻ってくるであろうと考えるようになりました。特に、国語の科目については、
面倒というよりは、作品の筆者の思考を読み解くことが刺激的な遊戯にも思えるように
なりました。そうして、次第に私はその世界に適応しすぎてしまうようになりました。
小学校5年になった頃から、頻繁に「模擬試験」を受験するようになったこともあり、
自分の存在価値がその模擬試験の偏差値の数値だとすら思うようになりました。
模擬試験の結果の上位に名前が印刷されていると、もう天にも昇る気持ちです、
全国で戦っている自分はきっと特別な存在に違いない、と勘違いし始めたのです。
要するに天狗です。その大いなる勘違いを崩していく過程、旅こそが、私のその後の
人生(言うまでもなく、いまも道半ばですが)となりました。最初にその勘違いが
揺らいだのは、女子部に合格し、自分よりも優秀な存在を目の当たりにしたとき
でした。都市部から受験したOBにはわからないと思いますが、ほとんど受験者が
いない田舎の小学校から、いきなり女子部に飛び込んだのですから、衝撃の大きい
こと。さらには、優秀でその上に「おしゃれ」な生徒が多い。あれだけ大変な
受験勉強をくぐり抜けてきたにもかかわらず、おしゃれな髪型や小物などで自分を
表現していることにびっくり。さらにはスポーツができたり、東京で流行の音楽の
話などもできる級友もいるのですから、私のアイデンティティなどは脆くも崩れ去って
しまいました。私はますます内に籠るようになりました。そして高校に進学した
頃には、勉学のその先に一体何があるのかも見えなくなっていき、次第に自分は
何のために生きるのかと模索するようになりました。
 
 私にとって受験勉強の意義とは、その過程において得た論理的思考や読解力は
さておき、受験の過程や成果で得た仮初めのプライドをいかに捨てるか、すなわち
実存主義へと向かわせるコペルニクス的転回のための通過点だったように感じます。
そして、いかに生きるかという課題については現在も模索中です。
 
 
<プロフィール>=================
1979年愛知県生まれ
2010年南山大学大学院博士後期課程修了、博士(宗教思想)
大学非常勤講師、イラストレーター

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