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2016年11月30日

vol. 115 新美 康明(S23)「未来への不安」

かつて芥川龍之介が自殺した原因と言われる「ぼんやりした不安」。そんな未来に
対しての漠然とした不安が、近年私の体内にも宿りつつある。
 
 我が国の古典文学にも精通し、それを題材にした作品も数々著した芥川、さらに
当時の教養人は、あまりに急速に進む西洋化に危惧を抱き、警鐘を鳴らしていた。
 自然や崇高なものに畏敬の念を抱き、謙虚に仕え共生してきた日本人。その心性と
文化が、自然を征服すべきものとしてとらえてきた西洋文明によって、良くも悪くも
壊れるように変容していく。そのいかんともしがたい現実に、彼らは不安を抱かざるを
得なかったようだ。
 
 幕末?明治期以降、日本を訪れたタウゼント・ハリス(初代アメリカ駐日公使)や
イザベラ・バード(英国の紀行作家)、ブルーノ・タウト(ドイツの著名な建築家)
など欧米の要人が、身分の高い低いにかかわらず有していた日本人の損得より体面を
重んじる高潔さ、生来の勤勉さ、教育水準の高さ、聡明さ、技術応用力の高さなどに、
一様に驚き感銘を受けたことを滞在記などに記している。アジアで唯一植民地化され
なかったのも、そうした日本人の国民性があってこそといわれるが、またその一方で
それが富国強兵をなしとげる大きな要因にもなっていった。
 
 その大きな帰結が、第二次世界大戦での敗北であり、後の奇跡的な経済発展であり、
そのバブル崩壊でもあったのだが、そのプロセスがあまりにドラスティックだった
ので、その弊害もありとあらゆる分野で噴出してきた。中でも、この頃特に気に
なるのが、携帯電話やパソコンの発達で劇変したといわれるコミュニケーション
ツールの進化が、かえって、特に若者のコミュニケーション能力の欠如を招いて
いること。またあらゆる生活場面での機械化(ロボット化)、合理化による人間性の
喪失である。
 
 例えば、ほんのひと世代前にはあたりまえにあった家族の「団欒」。それが今や
共稼ぎの家でなくても、まったくといっていいほどなくなってしまった。いじめに
よる子供の「自殺」。それほどまでに思い詰めていた子供の兆候を、教師もまして
親さえも気づかない、その関係性の希薄さはいったい何に由来しているのか。せめて
夕食か朝食でも家族一緒でとっていれば、そうした子供の異変に気付かないはずは
ないだろうに・・・。
 
 人間の尊厳、所得格差、人種差別、宗教対立、環境異変、原発・エネルギーなどに
ついての難問が、せめて解決に向かって舵がとれていればよいのだが、アメリカの
大統領選の結果でもわかるように、世界の現実はむしろ逆行しているかのようである。
 
 本年、箱根に開館したドールハウス美術館は、世界各国の人々の生活文化を
12分の1のミニチュアにすることで振り返る、いわば温故知新のツールにもなる
作品を数々展観している。アメリカに移住したばかりの清教徒の家もあれば、
200年前の英国貴族の館やビクトリア時代の悲惨な労働者階級の屋根裏部屋もある。
家族全員で自宅をそのまま再現したバンガローも、ドイツのマイスターが丹精込めた
ニュルンベルクキッチンも興味深い。いずれも、人間の日々の営みへのけなげなまでの
関心と愛情がなければ、できないものだ。
 
 初めての展覧会は、六本木にあった暮らしの手帖社のギャラリーだった。2017年秋
には岡崎市でも開催する予定だ。
 この原稿は、館の宿直室で書いた。箱根大学駅伝の最高地点のコース脇にある。
私を包む冬空の闇は深い。が、視つめた”オリオン座”の耀きは、悲しくなるほど
美しかった。
 
 
新美康明 S23                              
(株)ピエロタ、牧神画廊、ピッコリーノ保育園代表
箱根ドールハウス美術館館長
青山学院大学総合文化政策学部講師
 
 ※常盤会ブログに、ドールハウスのご案内があります。
 https://www.nanzan-tokiwakai.com/web/tokiwakaiBlog/2016/11/s23-1.html

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