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2016年12月28日

vol. 116 Guthrie 桂子(ガスリー ケイコ)(G06)「私の生きてきた道・出会った人々」

 現代美術の流れの真っただ中で南山に入学。寺沢久子先生の影響を受けて、美術館・画廊に通っていました。卒業後は愛知学芸大学(現 教育大学)美術科に入学。絵を描き始め、新制作協会に出品を始めたのはこの頃です。
 4年生の時に、当時の男子部の美術の大嶽先生に声をかけられ、南山男子部の美術講師になり、1年後、名古屋国際学園(NIS)が創立され、NISの講師に。それが国際社会との出会いでした。
 
 大学の卒業論文は、現代美術ニューヨーク派。これでニューヨークへの興味は募りましたが、まだ夢を見ている程度でした。当時1ドル360円。8万円までが海外へ持ち出せる金額の時代でした。行く方法は唯一つ。仕事ビザで入ることと決めてNISの校長に私の夢の話をしていました。
 
 20代の終わりに実現して、教師の職が入り、片道切符でアメリカはアイオワ州に降り立ちました。ニューヨークから程遠く、「国際的」とはかけ離れた田舎の街で異邦人が働いていたということです。母からの「あんたは、どこででも、やって行かれるよ」との言葉に後押しされて出てきました。
 
 その年の冬に、Bostonに飛び、次の年の契約を取り、1年後に、Boston郊外にある古い歴史ある街Hinghamの公立中学で教え始めました。1970年代の初期で日本の認知度は低いものでした。日本は中国の中にあると信じている人達、トヨタが日本のクルマとは知らなかった人たちに囲まれていました。
 
 その学校では、マサチューセッツ州の方針で、school bussingと言って、Bostonの下町から黒人の子供たちを送迎して受け入れ、白人との共学を実施していました。
黒人の子供との出会いでした。私には珍しい経験でしたが、かみ合わないことも多くて短い期間で終了しました。時期が早すぎてまだ制度が整っていなかったのでしょう。
 
 Cambridgeに住み、Hinghamまで通勤していました。ここで私は美大でのコースを取り、新しい手法を教わり、制作場所を確保してもらい、仕事の後、絵を描くことができました。アメリカの文化都市、美術館・コンサートホール・ギャラリーの整ったBostonは今でも好きな街です。ここでアメリカの都会の空気を吸った思いでした。
 
 ベトナム戦争が終わり、帰国を余儀なくされて荷物をまとめて帰国しました。NISに戻り絵の制作も始め、これからここに根を下ろして頑張らなくてはと思い初めたところへ、また出会い! 仕事先NISで、夫となったNew York出身のキースと知り合い、2年後に、まさかの結婚!私も含めて周りもビックリでした。1年後にまた荷物をまとめてアメリカへ。
 1度住んでいたので簡単にビザが下りると思っていたところ、逆で、住んでいた州の犯罪歴の有無の書類提出・・等々、時間がかかりました。コンピューターもファックスも無い時代の話です。
 
 今度は、BostonとNYのちょうど真ん中にあるロードアイランド州のイーストグリニッジという小さな街にある生徒数600人位の私立学校でした。校長は、以前、神戸に居た人で、夫人は日系カナダ人でしたが、東洋人であるために苦労したと聞きました。同僚の美術の先生は、若い時にウクライナから来た人で、同じく外国から来た
私に気持ちを重ねてくれて、随分とお世話になりました。今でも忘れられない人です。
 
 義母との出会いは大きなものでした。スコットランド系アメリカ人で偏見の無い人でした。Newsweek誌の記者で、時代に敏感でよく本を読み、バイタリティー有るセンスの良い都会の職業婦人でした。彼女からは、本当に色々な話を聞きました。Manhattanは五番街のオフィスで働く、当時の典型的なウーマンリブの人でしたが、その昔、女性であるために仕事で理不尽な仕打ちを受けたことを聞き驚いたものでした。彼女が亡くなるまでの30年間、喧嘩も含めてよく話をしました。
 
 帰国して神戸へ。100年の歴史の有る国際学校カナディアン アカデミーに就職しました。主人は物理・数学を。私は美術を26年教えました。
 ここには40か国前後の国から子供たちが来ていました。国民性の違いなどを知ることができました。子供たち同士は何のためらいもなく仲良くしていました。同僚たちはここの仕事を辞めると、ほとんどが日本を去るので、多くの人が私たちを通り過ぎて行きました。
 
 神戸の震災から20年を経た今、やっと日本に復帰した感があります。2006年に退職し、日本人の友人たちもできました。大阪フィルの音楽家たちを月に数回サポートする日々を主人と楽しんでいます。この12月は久しぶりにPennsylvaniaに行きます。次期アメリカ大統領となるトランプ氏は、主人のNYの中学時代の同級生でもあり、彼の昔をよく知る主人は「トランプが大統領になればアメリカは変わってしまう。彼の任期4年間は帰りたくない。だから就任前に一度帰国しておこう」ということのようです。
 
プロフィール
1959  南山高校女子部卒業
1963  愛知学芸(現教育)大学卒業
1963  南山中学高校(男子部女子部)勤務
    名古屋国際学園勤務
1970  アイオワ州、マサチューセッツ州(USA)公立中学勤務
1973  帰国
    名古屋国際学園、南山中学高校勤務
1976  渡米 ロードアイランド州私立中学、高校勤務
1980  帰国
  神戸 私立カナディアン アカデミー勤務
2006  退職
現在に至る
神戸で個展3回 グループ展25回

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