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2018年4月30日

vol. 129 結崎 涼(G37)「人生を変えたあの日あの光景」

 「劇団 Sturm und Drang 主宰 結崎涼」。
 何かのきっかけで改めて名刺を眺めると、「これは本当に自分の名刺なのだろうか?」「誰か他の人の名刺ではないか?」そう思うことがあります。
 
 今は劇団の主宰などをしていますが、私がお芝居を始めたのは 、実は 30 歳を過ぎてからのことでした。それまでは演劇とは全く無縁の生活・・。当初は家族が口を揃えて、「一体どうして?」と目を丸くしたのを覚えています。体を動かすことが苦手、団体行動が苦手・・。どう考えても演劇には向かない性質でしたから無理もありません。
 でも実は、中学一年生で真っ先に仮入部したのは演劇部だったのです。高校生になってからも 、有志劇をしている友達が羨ましくて羨ましくて・・、あの手この手でアピールして 、ようやく出演しないかと誘ってもらったこともあったのです。でも、どちらもすぐにやめてしまいました。耐えられないほど恥ずかしかったから。きっと、お芝居をすることで、普段隠している自分の中身を透かして見られてしまうような気がしていたのだと思います。随分迷惑をかけてしまいました。それで私は「本当はやりたくて仕方ない」演劇をぐるぐる巻きに密閉して、心の奥底に仕舞い込みました。
 それが 10 年以上の時を経て、どうしようもなく膨らんで爆発してしまうなど、想像もしないことでした。
  
 当時、私は大学院の博士後期課程に在籍し、博士論文に取り組んでいました。
ところが、これが遅々として進みません。「体を動かすのは苦手だけれど、頭を使うのは得意だ」、そう思っていた私はあまり深く考えずに大学院に進学しました。
研究職なら自分の特性を生かせるだろう・・と。ですから、書くべき論文が書けないという状況に、ほとほと弱りきってしまいました。家族は全面的に協力してくれていて、「朝起きて寝るまで論文を書く以外は何もしなくていい」、そういってくれました。しかし、そこまでしてもらっても書けなかった。
 完全に窮したとき、自分でも思いがけない行動を取っていました。インターネットで名古屋市内の劇団を検索したのです。初心者でも受け入れてくれるところ、仕事をしながら趣味程度に参加できるところ・・。いくつかピックアップして検討し、翌日には見学に出かけていました。
  
 初めは論文執筆のための息抜き、そう考えていました。実際、稽古を休みがちで怒られたこともありました。ですが、公民館の一室にライトを立て、座席を並べ、幕を引き、ほんの数十名のお客様を前に初めて舞台に立ったとき、私はそれまでに見たことのない、でもずっとずっと見たかった光景を見てしまいました。そして帰り際、「楽しかったよ」、そう言って声を掛けてくださったお客様の顔は今でも忘れません。
 
 その日から今日まで、もちろん色々なことがありました。ですが、舞台のことを考えなかった日は一日もありません。きっと、これからもそうだと思います。その間沢山の人に会って、随分多くの方に名前も覚えていただきました。
  
 でも、時折ふと思うのです。
今はもう何百という人々の手元に渡った名刺を見ながら・・。
この劇団も、この人間も 15 年前には存在すらしていなかったのだと。
あの日あの光景に出会っていなければ、きっと今も存在していなかったろう・・、と。
 
 そして改めて、今日も舞台のことを想える幸せを噛み締めているのです。
 
プロフィール
 結崎涼(ゆうきりょう)G37
 劇団Sturm und Drang-疾風怒濤-主宰。
 2018年1月 名古屋市芸術創造センターにおいて劇団設立10周年記念公演を上演。
 その後およそ1か月にわたり名古屋市演劇練習館アクテノン主催企画展
 「劇団Sturm und Drang 10th Anniversary」で衣装、舞台写真などを展示。
 ライブ、コンサートなど演劇以外の活動も多数。 
 
 

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