vol. 146 中村 敬先生「記憶の中の南山の教育(6)」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2019年12月29日

vol. 146 中村 敬先生「記憶の中の南山の教育(6)」

■犠牲者を生んだ教育
 男子部では主として19回生を“鍛えた”。18回生も教えた。18回生には中学
の2年生からの付き合いで秀才が多かった。鈴木涼太君がその筆頭だった。鈴
木君のよさは、決して秀才を鼻にかけなかったことだった。また、大修館の雑誌
『英語教育』でぼくが担当していた「英文表現演習室」に、ある時期に投稿して
きた卒業生がいた。高校生の時の教え子が大人になって昔の恩師と全国区の道
場で会いまみえるというのも、なんとも不思議なつながりを感じた。
 19回生とのつながりはさらに濃厚で、あまりの熱心な教育で犠牲者が出る始
末だった(連載(5))。生徒の中の一人は吃音を発生してしまった。きちんと発音
できないと何度でも発音させられたから、そのストレスからだったと考える。た
だ、彼の吃音がぼくの教育とどの程度関係があったのか実際のところ分からな
い。しかし、ぼくの授業と何らかの関係があったのではないかと“加害者”のぼ
くは現在でも心が晴れていない。熱心であることがいつも善ではないと気が付
くのに相当の日数がかかった。
 英国の19世紀末の作家の一人で『幸福な王子』の作者オスカー・ワイルド
(Oscar Wilde[1854~1900])は、『真面目が肝心』[The Importance of being
Earnest]という作品の中で、“熱心”であることを冷やかした。ぼくの
earnestnessは一部の生徒には相当迷惑だったろう。ワイルド先生なら、どうし
て生徒に吃音を発生させるほど熱心なのかと冷やかしただろう。
 この熱心さは、素質もあるだろうがアジア太平洋戦争の前後に受けた教育と
も無関係ではなかったと考える。敗戦後、小国民だったぼくは民主国民に変貌し
たのである。ぼくが中野好夫を敬愛してやまなかったのは彼の性格の中に、ぼく
の体質と気質と重なるものを感じていたからではないだろうか。そして、鍛えず
にはいられなかった19回生の気質の中にも、ぼくのそれと共通するものを感じ
ていたからだろう。
 
■誕生日の贈りもの
 多分M君が中学3年生のときだった。ぼくの誕生日に素晴らしい贈り物を届
けてくれた。すでに連載(1)で触れたが、その人のことに触れないではこの国
の英語教育を語ることができないと考える福原麟太郎大先生が、新聞(多分「日
経」)に連載した「英学十話」を切り抜いて届けてくれたのだ。 これには驚い
た。驚いただけではなく胸にこみ上げるものがあった。
 「英学十話」は「フェートン号」事件(1808年)にも触れている。その事件の名称は、長崎
港に停泊中のオランダ船を急襲するのにやってきた、イギリス軍艦の名前(フェ
ートン号)にちなんで付けられたものである。それは今までオランダ語一辺倒
だった幕府の外国語政策を、国防のため英語優先に切り替えた事件だった。
 福沢諭吉をして「これからは、英語」といわせて、“英語党”に転向させた直
接のきっかけは、横浜に出かけて、オランダ語では通用しないことを身をもって
知ったからだった。しかし、遠因は「フェートン号事件」にまで遡る。
 今日、50万人以上の受験生の英語の4技能をテストする試験制度をめぐる議
論も、もとをただせばこの事件にまで遡る。こうした歴史を当時の生徒たちにど
の程度きちんと伝えられたか、はなはだ心もとない。しかし、M君が「英学十
話」を切り抜いて贈ってくれたのは、ぼくが英語の授業を単なる技能伝授の練習
場とは考えていなかったことの例証になるだろう。
 
■英語と身体性
 19回生には個性的な生徒が多かった。その中の一人F君は、東京の某有名私
大の英文科に入学した。当時東京在住の何人かの卒業生がしばしば拙宅に話に
きていた。F君もその一人だった。ある時、F君が「英文科はつまらないからや
める」といい出した。彼は哲学科に入りなおした。その哲学科も面白くなくて、
結局大学を中退した。現在漢方医をしている。ぼくにはF君の生き方(人生の選
択)に大変興味がある。いったい、英文科や哲学科の何がつまらなかったのか。
 そもそも、英文科を選んだのはぼくの授業の影響があったのかもしれない。更
なる上を目指した大学で、英語が見せてくれるであろう新しい世界を学ぶこと
を期待したのではなかったか。期待は裏切られた。少々理屈っぽくなるが、その
理由を記号としてのことばの性質から述べる。
 ことばは記号でモノ・コトの性質や外見を表す(symbolize)。が、ことばはモ
ノ・コトそのものではない。記号の使い手と記号の関係は、どもまで行っても完
全には重ならない。両者の距離は無限大で、使い手と記号はほぼ無関係にもなる。
しかし、使い手は記号との接し方によって、その記号を自分の身体に手繰り寄せ
ることはできる。手繰り寄せられた記号が使い手と重なり合うほどに近づいた
ときに、その記号は使い手にとって身体化されたといえる。ここで少し横道にそれる。
 全盲の生徒に生物を教える筑波大学附属資格特別支援学校での生物の授業を
丁寧に取材し、それを一冊の本(『手で見るいのち――ある不思議な授業の力』
(岩波書店))にしたのは毎日新聞の記者柳楽未来(なぎらみらい)氏である。氏
は、一人の先生のことば「名前を教えると深く見なくなってしまう」を伝えている。
 外国語の習得はひたすら記号(名前)の習得といってよい。記号の習得からス
タートする外国語学習は、その記号の意味を深く考えるようにならなければ、た
だの記号の習得で終わる。これはチーチーパッパの段階から大学のレベルに至
っても同じだ。大学の先生はしばしば難しい記号を使って講義をしてくれるが、
それだけでは記号が身体化されることはない。
 F君が選んだ英文科では、その身体化の入り口が見える講義や授業がなかっ
たということだ。まことに不幸だった。ただし、それはF君にとってのことで、
学生によっては違った意見をもっていた可能性もある。漢方医となるための修
業は、人の身体と密着している。デジタル方式では漢方医の極意は身体化されな
い。基本はアナログである。「スマホで医療相談」などはあり得ないのだ。F君
は身体化の可能性を見出すことができなかった授業にいらだったのだろう。
 ぼくの南山における英語教育は英語をいかにして身体化させるか、その一点
にあったともいえる。身体化は命がけだ。生徒たちはぼくの命がけの授業を受け
止めてくれたのだった。「これで十分」はありえないが、一人の凡庸な教師だっ
たぼくには思い残すことはない。
 
【追記】
 6回というのが当初の約束だから、残念だがこれで最終回とする。執筆に当
たっては編集の塩野崎佳子さんに事実の確認など、様々な場面でお世話になっ
た。御礼申し上げる。メルマガに原稿を書くのは今回が初めてで、そのためにボ
ランティアの編集者に、予期できなかった多くの迷惑かけることになった。にも
かかわらず、辛抱強く付きあってくれた編集委員にも感謝申し上げる。
 本稿の執筆は、多くの卒業生の応援があったからこそ可能だった。こうやって
書いていても卒業生たちの顔が次々と浮かんでくる。2019年11月2日に
昔々の“恋人”の女子部8回生たちと、同窓会で何十年ぶりかの再会を果たした。そ
して、40名ほどの参加者全員とことばを交わすことができた。そんな中、卒業
生の一人が「先生、幸せですね」と声をかけてくれた。「わが青春の南山」を飾
るのにふさわしいコトバだった。皆さん有難う。
 
(G8同期会)

vol. 120 加藤 都 (G15)「縁を結ぶ日本酒の極意」(新たな日本酒の魅力を求めて)


 
 中学校の英語教科書New Crownの作成で知り合った編集(当時)の峯村勝さん
が『中村敬の仕事――人間・ことば・英語教育』を執筆中です。完成したら、
本欄で紹介させてもらいます。
 
 
プロフィール 中村敬先生
 南山中・高(英語)の在職期間…昭和30年4月~昭和41年3月
 1932年豊橋市生まれ
 南山大学英語学英文学科卒業
 英国政府奨学生(British Council Scholar)としてロンドン大学留学
 
 主な著書:『イギリスのうた』(研究社)、『私説英語教育論』(研究社)、
      『英語はどんな言語か』(三省堂)、『なぜ、「英語」が問題なのか?』
      (三元社)、『幻の英語教材』(共著、三元社)、
      『英語教育神話の解体』(共著、三元社)など
 
 検定教科書の代表著者:中学校英語教科書The New Crown English Series(三省堂、
 1978~1993)、高等学校英語教科書The First English Series(三省堂、1988~1995)

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