vol. 28 ひらやま れいこ(G21) – Nanzan Tokiwakai Web
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2008年1月8日

vol. 28 ひらやま れいこ(G21)

 昨年、自宅のすぐ近くに教会が建ったので嬉しくなり、一度覗きに行って来よう、ナンテ思っている自分に気づき驚いてしまいました。キリスト教徒でもないのにナゼかしらん。
 
 私の南山ライフは、中学から大学までの10年間です。10代から20代にかけての多感な時期に南山で過ごせたことは、ホント良かったナ〜とつくづく思います。何が良かったのか…と自分に問えば…、そう、それは「祈り」のある生活を教えて頂いたことでしょうか。
 
 朝に、夕に祈り、賛美歌を歌い、聖書の一説を聞く…そんな静かな時間が、一日を豊かにしてくれてたと確かに思えるのです。祈りの一文に「我が人を許すがごとく、神よ、我をお許し下さい〜云々」というような一節があってそのたびに「おいおい、私はちゃんと人を許してるのか?」と自問自答していました。
 
 一方私の家は長兄が夭折した為、ピクニックと言えば家族で八事霊園に行き、お墓を囲んでおにぎりやお団子を頬ばり、日々の生活の中でも、おまんじゅうを買えば「まず仏壇にお供えし」「ごはんが炊き上がれば、一膳目は仏壇へお供え」という毎日を送っていました。小学生5年生の時には般若心経を諳んじることができるようになっていた程です。
 
 でも、悲しいかな。般若心経は何度祈っても意味がわからない。心の指針が与えてもらえないのです。
 
 南山ライフでの「祈り」は自分と向き合う時間を与えてくれました。落ち込んだ時も、優しくなれない時も自分の心を正面から見つめ直すことができたのです。
 
 最近のニュースを見ていると、自分の心を見失っているからこそ起きる悲しい事件が数多く感じられます。十代のいじめや自殺など・・・。
自分の「心」「霊性」の尊さを知らないままに…、手探りで生きている現代人の苦しみが醜い姿となって表れていると思います。
 
 自分の「心」「魂」と真正面から向き合うことなく、ただただ「感情のままに」「人目だけを気にし」「時間に追われ」生きる苦しさは、いかほどのものでしょう。
 
 南山学園が小学校を設立するとお聞きしました。とてもとても素晴らしいことだと思います。
 
 小さい時から「人は神様、仏様に愛されている尊い存在なんだ。だからいつも許されている。だから私たちも、人を愛し、人を許そう」そうした思想を幼い頃から魂の深いところに刻むことができれば犯罪も自殺もないステキな社会ができていくのではないかしら。
 
 私自身も10年前からそんなことを願い本を書き、セミナーを行うなど様々な活動をしてきました。
 
 どれも自分の「心」「魂」に気づき、本来の輝く自分を取り戻そうネ、というテーマで書いています。
 
 現在の自分を考えると、南山時代の「祈り」の日々が、今の自分を支えてくれているように思えます。
 
 南山での日々に、南山で出会ったすべての人々に感謝、感謝です。
 本当にありがとうございました。
 
 
プロフィール
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ひらやま れいこ 1956年
放送作家、エッセイスト、東海ホリスティック医学振興会理事
健康いきがいアドバイザー
1997年まおライフデザイン研究所設立。癒し、生きがい
宗教、死生観のセミナー、ワークショップを多数開催。
著作
「あなたがいるだけで幸せ」(1)〜(6)
「心が晴れていく簡単テクニック」(1)(2)
「とっておきの日曜日」など

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