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2009年3月18日

vol. 39 安井 京子(G2)「私の宝物」

 私がいつから音楽に目覚めたのか定かではありませんが 子供の頃、居間にボタンがいっぱいついた足踏みオルガンがあったのを覚えています。母親が音楽好きで女学校で習ったと言う「流浪の民」や「花」をよく歌ってくれました。
 先生についてピアノを習い始めたのは小学校の五年生の頃からです。それと同時にオルガンがピアノに買い換えられました。大学は学芸大学(現在の教育大学)の音楽科に進みましたが、結婚と同時に関西に住むようになり、そこで借りたアパートの大家さんから「孫にピアノを教えてやって欲しい」と頼まれたのを機に、教え始めました。
 教えるからには自分もピアノの勉強を続けなければと言う思いでピアノの先生を探し再び習い始めました。その頃は今では考えられない事ですが、ピアノ熱が盛んで一週間びっしりレッスンして収まりきらず待っていただくと言う状態でした。
 ヤマハの電子オルガン[エレクトーン]が出だしたのもその頃で、所属していた神戸ヤマハの指導者コースに入り資格を取り、その生徒さんも増えました。色々な研修会があってたくさんの友人に出会う事が出来ました。でも電子オルガンは所詮機械物という思いがあり、ピアノ以外の生の楽器に触れたいと弦楽器を習う事に決めました。
 友人の娘さんにチェロを教えている方を紹介して頂き、チェロのイロハから習い始めました。ピアノのような鍵盤楽器は弾きたい音を押えれば正しい音が出るのですが、弦は自分が押える位置によって音が変わるので見た目よりずっと難しく、音感を磨かないと正しい音が出ません。
 何ヶ月間は正しい位置で弓を動かす練習ばかり続きました。チェロの弦はバイオリン等と違って太くて硬いので指の皮がよく破れました。
 少し曲らしいものが弾けるようになった頃、神戸で「千人のチェロ」のコンサートをするという企画が持ち上がりました。阪神・淡路大震災で未曾有の被害が出て、亡くなられた多くの方々、家をなくされた方々を偲び励ますと言う目的で、世界中のチェリストが集まり合奏をする一大イベントだったのです。まだやっと簡単な曲が弾けるようになったばかりでしたが、一番簡単なパートで参加しました。
 これがきっかけで大勢で弾く楽しさを覚えました。また、違う友人たちにも知り合え、神戸に本拠地のあるストリング・グループに入れて頂き、チェロだけではなくバイオリンやヴィオラという違う音色と合わせる楽しさを体験しました。それが縁で新しく発足したオーケストラに入る事になり、弦楽器だけではなく管楽器もある交響曲などにも出会う事が出来ましたが、管が入る曲は難解なものが多く、練習を怠ると仲間に迷惑がかかるので、毎日ひたすら精進しました。次第に疲れを感じるようになり、オーケストラを退団し、現在はストリング・グループと我が家で月一回集まって練習する、デュオや弦のトリオやピアノカルテットなどで合奏の楽しさを味わっています。
 ストリング・グループは「ミレニアム・レインボウズ」と私が命名し、交響曲を弦だけの演奏でと言うコンセプトで、年に一度の演奏会に向けて練習しています。
 今年は六月にベートーヴェンの交響曲第二番とエグモント序曲、モーツアルトの交響曲二十五番、を演奏します。編曲は全て指揮者が致します。
 又、八月のチェロの発表会ではピアノカルテットで参加、シューベルトの「鱒」を演奏します。これには いつも練習でご一緒して下さる九回生の岡本千鶴子さんが今回もヴァイオリンで参加して下さるのでとても心丈夫です。
 このように 音楽を通してたくさんの友人・仲間に出会えた事とたくさんの楽曲を知る事が出来た事は私にとって何ものにも代えがたい『宝物』です。そしてこれからもこの出会いを大切にしていきたいと思っています。
 
 
安井 京子 G2 プロフィール
 
南山学園 中・高卒業後 学芸大学音楽科に進学
結婚と同時に関西に移り住み神戸ヤマハに所属
自宅でピアノ・エレクトーンを教える
チェロで「千人のチェロ」に参加 事務局の仕事をボランティアで手伝う
その後、ベルリンフィルやミュンヘンフィルのチェリスト達とドイツ各地の
演奏活動に参加
現在 神戸ストリング・グループに所属しながら自宅でピアノを教える

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