vol. 54 池野 久美子(旧姓 岡)(G15)「ほのに新聞」 – Nanzan Tokiwakai Web
  1. HOME >
  2. メルマガコラム

メルマガコラムMail Magazine Column

過去に配信した「常盤会WEBメルマガ」の記事を掲載しています。

2010年10月31日

vol. 54 池野 久美子(旧姓 岡)(G15)「ほのに新聞」

「ほのにしんぶん??」「うん?えっ!ほのに?」・・・「ほのに新聞」は我が家の家族新聞なのです。月1回発行のこの新聞は、2010年4月で300号となりました。
 在りたい家庭の姿の「ほのぼの」、「のびのび」、「にこにこ」から頭文字をとって「ほのに新聞」と名付けた家族新聞がスタートしたのは、ちょうど25年前、1985年のことでした。私も仕事を得て働いていました。そんな時、小学3年生だった次女志伸(しのぶ)が「学校から帰って、姉ちゃんが帰ってくるまで一人だし、なんかおもしろいことないかなあ」とつぶやいたので、「しのぶちゃんは文を書くことが好きだから新聞作ったら?」と勧めたのがきっかけで、「ほのに新聞」が生まれました。私たちは、実家から遠く離れた福島県郡山市に住んでおりましたので、毎月毎月のささいな日常が書き込まれた新聞は、近況を知らせるのにちょうどよく、父母はとても喜んでくれました。
発行以来四半世紀と私の還暦を記念して、「ほのに新聞300号」として製本しました。
読んで下さっていた方の「発刊に寄せて」のメッセージも収載できました。ずっしり重いこの冊子を手にとって、1枚1枚ページをくるたびにその当時のことが鮮やかによみがえってきます。その時々の出来事や、書き切れなかった思いや悲しみもぎっしり濃縮されていて、家族の記録としても大切に思っています。
最初の書き手だった次女と協力した長女(優子)は、もう結婚して家を離れています。
次女と一回り離れて生まれた三女の世新(せあら)は、誕生前からほのに新聞に登場。
保育園時代から書き手に加わり、次女が大学入学と同時にバトンタッチしました。そして、三女が大学入学と同時に書き手は残った私たち(主に私)に変わりました。主役だった娘たちの出番が減ってきて、その子供たち(孫)へ移り、最近はカラー写真がかなり紙面を占めています。小さな一つの家族(2人)から今では三つの家族(9人)にまで広がり、ほのに新聞はその家族を結びつけてくれています。
 
私は、現在、はちみつ、ローヤルゼリー、プロポリスといったミツバチの生産物を扱う会社に勤務しております。以前勤めた歯科大学で、プロポリスの虫歯予防について研究していたことから、岐阜にあるこの会社に招かれました。実は岐阜県は「近代養蜂発祥の地」といわれ、養蜂の盛んなところです。日本列島のちょうど真ん中に位置し、南から北へと採蜜に移動するのに好都合の場所です。れんげの作付け面積日本一、そして
県花が「れんげ」となっているのも偶然ではありません。
今年4月に、NHKテレビ番組「きょうの料理」の、「地元の味をいただきます」というコーナーで、岐阜の「はちみつ」が取り上げられました。養蜂・はちみつ関係の仕事をしていることがきっかけで、出演させていただくことになりました。
岐阜市畜産センター内にある「みつばちの家」の2階テラスで撮影がありました。桜の花満開の背景は最高です。でも、私は慣れないテレビ撮影にドキドキドキドキ。初めてお会いした後藤繁榮アナウンサーと料理研究家の山本麗子先生との打ち合わせで、お二人とも「大丈夫、大丈夫」と力強いお言葉。「まず、やってみましょう。」というディレクターさんの声かけで撮影が始まりました。後藤アナウンサーはわざと間違えたり、だじゃれで緊張をほぐして下さり、リードしていただいたおかげでなかなかうまくいって、ディレクターさんから「OKです。とってもいいですよ?。」と・・・
ところが、カメラさんから「今のカメラ回ってませんよ?」「え?」といった感じで、ともかく、2日間の撮影が終了しました。
放映される1日目の再放送(同日に2回放送)30分程前に南山の友人からメールをもらったので、この放送のことを返信したら、あっという間に同期の皆さんに連絡下さり、多くの友人から感想や懐かしメールをいただきました。恥ずかしさとともにうれしい時が得られました。しかも、後藤アナウンサーは南山男子部の出身と聞き、その偶然にまたまた驚きでした。もちろん、このこともほのに新聞の記事になりました。
しかも、記念すべき300号。
 
2010年4月25日、ほのに新聞300号発刊の日に、長女、次女たちからはそれぞれお花が、世新からは「Happy Birtday HONONI」と印字された紅茶缶が届きました。
思いがけないことでした。娘たちにとっても深い思いがあるんだと大変うれしく思いました。世新は注文の時、お店の人から、「ほのにちゃん?ですか?」??という感じだったそうです。製本したこの本の最後のページに、そのことを載せました。これからも我が家の歴史として続けたいなと思っています。
当時教えて下さった先生方、また、同期の友人たちを思いつつ、また、母校の発展を祈りつつ、この「ほのに新聞」の稿を閉じたいと思います。
 
 
プロフィール
池野 久美子(旧姓 岡)G15
 
岐阜薬科大学卒業。医学博士。
現在、はちみつ、ローヤルゼリーなどミツバチ生産物を扱う会社に勤務。
医薬品製造管理者として、製造管理及び品質管理に従事。また、ローヤルゼリー、プロポリスに関する研究を行っている。修文大学短期大学部非常勤講師。

メルマガコラム一覧