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2010年11月23日

vol. 55 内藤 理恵子(G45)「女子部がくれた宝物」

 私は名古屋市郊外の小さな町で生まれ育ちました。町では「私立中学に行く」ということはとても珍しいことで、現在でも、学年に一人か二人といったところでしょうか。
 女子部に入学してみると、私が生きていたそれまでの世界とは違い、まるで異国のように感じられました。カトリックの儀礼、お祈りや聖歌、どれもが新鮮。特に、「宗教」の授業があることが驚きで、西神父様の授業を毎回楽しみにしておりました。
宗教の授業は身に沁みるように感じられ、聖書と出会えたことをとてもうれしく思いました。聖書の中でも「放蕩息子」のたとえが印象に残っています。
 女子部において、宗教以外に興味を持ったことは、イラストを描くことでした。
私がイラストレーターを目指し始めたのは中学3年の頃です。技術の習得を目指す者にとって、受験勉強のない中高一貫教育は助かりました。
 しかし、高等学校に進学すると、本気でプロのイラストレーターを目指すと同時に、精神的に追い詰められました。絵の世界でプロになれるのは千に1つ、いや、万に1つの確率です。そのような、叶うかどうか分からない夢に向かって進む自分が浮世離れして感じられ、劣等感の塊のようになってしまったのです。日々をキラキラと輝かせながら楽しそうに勉学やスポーツに邁進している同級生の姿は美しいチョウのように眩しく感じられ、それに比べて自分の姿はモゾモゾと不毛な絵を描くだけの毛虫や芋虫のように思われるのでした。
 その後は、そんな劣等感に耐えきれなくなったこと、そして大学へ進学したことの解放感から、いったんはイラストの世界から離れました。南山大学では哲学を専攻し、講義についていくのが精一杯で、制作の余裕が無かったせいもあります。しかしながら、やはり諦めきれず、卒業後はプロの似顔絵師の道を選びました。観光地やショッピングモールの一画にテーブルとイスだけの店を構えて、とにかくたくさんの人の顔を描いて過ごしました。目の前の人が喜ぶ顔が見たい、という素朴な気持ちは、絵の技術を上達させてくれたと思います。6000人ほど描いた頃、店の前に行列が出来るようになり、マスコミに取り上げられるようにもなりました。そんな似顔絵師としての活動を2年間続けたころ、描いた人数が一万人を超え、もはや似顔絵において、やりたいことはやり尽くしてしまった感がありました。
 そして似顔絵で得た収入で経済的にも余裕が出来たため、今度は大学院に戻って学問をしたいと思うようになりました。学問に戻りたくなったのは、似顔絵の仕事で多くの人と出会い、人間に対する洞察が以前とは大きく違っていることに気がついたからです。大学院在学中には、2007年に『ホネになったらどこへ行こうか』(ゆいぽおと)を商業出版いたしました。そして、2010年3月には、南山大学大学院博士後期課程を修了、博士号(宗教思想)を取得するに至りました。
 また、「女子部在学中から絵の技術の研鑽を積んだこと」「似顔絵師をしていた頃の出会い」の二つの要素が現在のイラストの仕事に繋がり、2005年頃からイラストの仕事が増えるようになりました。こうしてイラストレーターになるという夢をかなえることができたのも、生徒の個性を尊重してくださる女子部の教育方針のおかげと思っております。
 私が女子部を卒業してから、10年以上の月日が流れました。さまざまな出会いがあり、苦難があり、喜びがありました。しかし、どんな時も、女子部での朝の祈りは心から消えることはありません。日々に疲れ果て、心の澱の中に祈りの言葉が沈殿してしまっていても、ふとした時に、この言葉を思い出します。
 
「愛が無ければ無に等しい」「愛が無ければ鳴り響くシンバルに等しい」
 
 現在、私は大学院での研究(宗教思想)を基に大学の講師をしております。教員生活においても、イラストの仕事においても、この言葉を宝物のように大切にしていきたいと思っております。
 
<プロフィール>=================
1979年愛知県生まれ
2010年南山大学大学院博士後期課程修了、博士(宗教思想)
大学講師、イラストレーター

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