vol. 76 浅野 モオム(S19)「旅する絵描き計画」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2012年12月20日

vol. 76 浅野 モオム(S19)「旅する絵描き計画」

 1975年から6年間、住んでいたパリでは、ファッション関係のテキスタイル・デザイナーの仕事をしていました。帰国後、「モオム・アサノ」のアーチスト・ブランドとして、10社以上の企業と契約、商品化されていました。ファッション・タオル・傘・弁当箱・インテリア・ネクタイ・バッグ・セラミックなど「モオム・ブランド」は、5~7年ほど、世の中に存続していました。
 
 
 並行して、1984年より、全国各地で個展を開催してきました。御縁のあった場所で、画廊に限らず、デパート・ホテル・病院や住宅展示場、企業の会館などです。個展中は、出来る限り、その土地にいるのです。
 
 
 1990年に、日本道路公団(当時)の依頼で、関越自動車道路の練馬から水上まで、
38ケ所の各市町村のサイン標識の絵とデザインの仕事をしました。設置されたそれらの実物のいくつかを車中から見たのは、その2年後に初めて伊香保温泉に行った時でした。私の絵のほうが私より早く遠くまで旅をしていたのです。
 
 
 「絵は人ほどに旅をする」
 
この仕事が、沿線の上毛新聞の重役の方の目に留まり、1997年には、伊香保温泉のホテル天坊で、1月と8月の2度に渡り、個展開催が出来ました。1月に地元の農水省関東農政局赤城西麓農業水利事業所より水利事業完成記念の壁画の制作も依頼されました。8月には、1ヵ月、伊香保温泉に滞在。個展会場で壁画原画の公開制作もして、会期中に完成することが出来ました。
 
 
 1ヵ月ほどリゾート地に滞在してみたい。壁画の仕事がしてみたい。思い続けていたこ22つの夢が同時に出来たことに、とても感謝感激の日々でした。
  
 
 私は何のために絵を描いているのか。「出会う」ためにと思われてならないのです。
「出会う」ためには、場所を変えてみることもひとつの方法だと思えてきます。
 その時、「旅する絵描き計画」ということばが浮かんで来たのです。
 
 その後、個展活動は、このコンセプトで、多い年には、年8回、平均では3~4回ほどになっています。ありがたいことに、近年、リゾートホテル、病院、歯科医院、リハビリセンター、治療院、美容室、カフェなどに、多く、作品が買われています。
 
 
 「旅する絵描き計画」個展活動は、このように、<出会いの色>によって描かれてゆくようです。
 
 
 2000年には、パリ以前と帰国後、合わせて20年近く住んだ東京より、故郷の岐阜県羽島市の実家へアトリエを移しました。
 
 
 来年2013年には、初の海外個展<ソウル>も予定されています。
 
 
 「旅とは出発地へもどることである」
 
そして、私は、今、ここにいます。
私は、何のために絵を描いているのか。
この場所と人に出会えて嬉しいと思いながら、絵を描いています。
 
 
浅野モオム プロフィール
 1948年岐阜県羽島市に生まれる
 名古屋市南山高校卒業後、正眼短期大学で禅的修業生活を送る
 1975年から6年間、パリでテキスタイルデザイナーとして過ごす
 1981年帰国後「モオム アサノ」アーティストブランドとして様々なアイテムに商品化される
 『モオム(仏語)』=(こども)と自ら名付け 子供心で一生絵描き続けたいと
思って『旅する絵描き計画』と名付け全国各地で個展を展開しています

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