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2014年10月31日

vol. 94 杓谷 桂子(G28)「能楽稽古事始めーお能って何?ー」

 「お能を習っています」というと、たいていの方に驚かれます。自分自身、まさかお能を習うようになるとは夢にも思っていませんでした。というのも、中学・高校時代は、フランス革命を舞台にした漫画『ベルサイユのばら』や宝塚、そして恩師である矢谷先生に教えて頂いた世界史に夢中になり、大学ではスペイン語やスペイン史と、ずっと西洋路線でした。日本史も好きでしたが、何しろ古文が大の苦手で、古典文学はすべて現代語訳で済ませました。歌舞伎もセリフがよくわからないからと、ほとんどご縁なく過ごして来ていたのです。
 
 ところが、8年前にふとしたきっかけで、お能の稽古を始めたところ、すっかりはまってしまい、今では舞、謡だけでなく、大鼓の稽古まで始めてしまいました。
 
 きっかけは、30代後半から7年間続けてきた空手が、ちょっと体力的にきつくなってきたことでした。もう少し身体にやさしい何か別の新しいことを・・と思っていた矢先、新聞で「能はインナーマッスルの活性化に良い」という本の紹介記事を見つけました。これはと思ってネットで教室を検索したところ、なんと杁中にお能の教室があったのです。
 
 翌日、早速見学に出かけました。地図を頼りに大体このあたりでは・・というところまではたどり着いたのですが、看板が出ている様子もなく、探しあぐねていたら、あるお宅から男の人が出てきました。思い切って声をかけてみたところ、そこが探していたお稽古場でした。案内されて何の変哲もない普通の民家の引き戸を開けると、そこにはいきなり松の絵をバックにした能舞台が目の前に広がっていました。
 
 ちょうど仕舞のお稽古の真っ最中でした。しばらく様子を見学させてもらって感じたのは、これが自分にできるようになるのか?ということでした。ですが、先生の「やってみてできないということはない」という言葉を信じて、不安はありましたが、能そのものを一度も見たこともないまま、とりあえず稽古を始めてみることにしました。
 
 お能を習うといった場合、具体的に何を習うかというと、能の見どころ・名場面を切り取った「仕舞」(しまい)と言われる短い舞と、能のセリフと歌を合わせたような「謡」(うたい)を習うことになります。
仕舞の稽古はまず最初は先生の横に並び、先生の謡に合わせて動作を真似るということから始めます。謡の稽古も同様に先生と向かい合って座り、先生が一句、二句謡うのを聞いて、それを真似て謡ってみます。
まさに600年以上変わらず続く口伝え、身体で伝える稽古です。そして今はビデオ、レコーダーという文明の利器もありますので、それらも大いに利用します。
 
 始めてみると、驚くことばかりでした。まず最初に驚くのが先生の声の大きさ。しかもただ大きいだけでなく、音色が非常に豊かなのです。
次にその記憶力。いろんな曲を歌詞とともに振りまで覚えていらっしゃり、先生の頭の中はどうなっているのだろうとただただ感心するばかりです。
また、用語も独特でキリとかクセとかクサリとかヤヲハとか、何のことやら、ちんぷんかんぷんです。それでも、そんなことは全然お構いなしに稽古はすすみ、5か月後にはとにもかくにも、短い仕舞で初舞台を踏むことができました。
 
 そうこうするうちに、今度は初めて能を観る機会がやってきました。場所はもちろん日本一(ということは世界一ですね)の大きさを誇る名古屋能楽堂です。
舞台演劇自体は昔から割とよく見ていましたが、やはり能は全然違いました。
まず、そのスピード感が通常とは全く違います。シテ(主役)が下手の揚げ幕から本舞台まで橋掛かりと呼ばれる渡り廊下のようなところを登場してくるのですが、すり足で一足一足進んでくるので、普通に歩くスピードとは比べ物にならないくらい遅く、いったい本舞台に到着するのに後どのくらい時間がかかるのだろうと、半ばうんざりした気持ちになります(苦笑)。また面をつけているので、この世のものではないような一種異様な雰囲気が漂います。
それに輪をかけるのが、笛、小鼓、大鼓(場合によっては太鼓も加わります)による囃子の演奏。西洋音楽にすっかり慣れてしまった耳にはなんとも不思議な感じで、つい眠気に誘われます。そして、舞台後ろに控えているお世話係のような人が、よくわからないタイミングで舞台に出たり入ったり。
その日はたまたま謡をお稽古している曲を観ることができたのですが、習っているときに受ける印象とは全然違う別世界が広がっていました。
 
 そうしてお稽古を始めて早いもので丸8年になります。先日、同じ職場で働く中国の人に能のどういうところが面白いのか聞かれました。その時はすぐに答えられなかったのですが、自分なりに考えてみたところ、今ではすっかり忘れ去られようとしている日本に古くから伝わるリズム感やメロディーに触れることで、実はそれらが自分の中にも脈々と受け継がれていて、それらが呼応して心地良いからではないかと思いました。
白状しますと、能の演劇的な面白さというのは、まだまだ私には理解できかねるところがありますし、客席で舟を漕いでしまうこともしばしばです。でも、謡を謡っていて昔の人のちょっとマニアックなものの考え方に触れたりすると、そこに自分と共通するものを感じ、「ああ、わたしってやっぱり日本人」としみじみ思ってしまうのです。
 
 ということで、長々と書いてきましたが、読まれた方はかえって「お能って何??」という疑問が深まってしまったかもしれません。ただ一つ、わたしに言えることは、能はただ客席から見るより、下手でも何でも、「自分でやってみる方が断然面白い」ということです。
そうして一歩足を踏み込むと、そこには日本人の心の源につながる奥深い世界が広がっているのです。
 
 
杓谷桂子 旧姓(守田)G28 プロフィール
 昭和60年南山大学外国語学部イスパニヤ科卒
 仕事と主婦業のかたわら、平成18年より
 名古屋春栄会にて金春(こんぱる)流シテ方金春穂高師に師事。
 平成23年より石井流大鼓方河村眞之介師に師事。

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