vol. 144 中村 敬先生「記憶の中の南山の教育(4)」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2019年10月27日

vol. 144 中村 敬先生「記憶の中の南山の教育(4)」

■シェークスピアに魅せられて
7回生と8回生がそれぞれ高2と高1になった時、授業後(多分1週に1
度)希望者を対象にシェークスピアの作品の一つ『ロミオとジュリエット』
(1595?)の一部を原文で読んだ。ぼくがシェークスピアに魅せられていたか
らだが、そのきっかけの一つは、中野好夫『文学の常識』(昭和36年、初版、
角川書店)だった。
その中に、読書案内(どんな文学作品を読むべきか)として、アベ・プレヴ
ォ―『マノン・レスコー』、倉田百三『出家とその弟子』(少し劣るが、と中野
さんは注を付けている)などと並んで『ロミオとジュリエット』があった。中
野さんは、「青春時代でなければ味わえないような独特の香気をもっていると
いうことだ」という。つまり、若いうちに読むべき作品とは、その時期に読ん
でこそ、作品の良さが分かるという意味だ。
さて、『ロミオとジュリエット』の冒頭の口上で、With your patient ears
attend.(最後まで辛抱強くお聴きいただきたい)と述べているのは、シェークス
ピアの作品がもともと演じられたもので、読むためのものではなかったからで
ある。こうなると原文を聴きたくなる。イギリスの名優だったジョン・ギルグ
ッド(John Gielgud、1904~2000 )など、当代一流のシェークスピア俳優の
レコードを何十回も聴き、原文も繰り返し読んだ。
もう一つのきっかけは、大学4年生の時の今川憲次先生の「英文学史」の講
義だった。先生は、一方的に講義するのではなく、読んでおくべき作品や、ソ
ネット(十四行詩)の番号を板書したのだった。その原文を読むために現在
国指定(1998)の登録有形文化財として保存されている図書館に通い詰めた。Shall
I compare thee (you 中村注)to a summer’s day? (君の美しさを、あっという間
に過ぎ去る夏の一日にたとえようか)など、それから何十年後の今日何かのはず
みで口をついて出る。

■What’s in a name? (名前ってなによ)
ロミオとジュリエットは、たまたま、たがいに反目するモンタギューとキャ
ピュレット家の息子と娘に生まれたばっかりに、そして修道士ロレンスの親切
があだになって命を落とすことになる。
さて、生徒たちと読んだのは、「ロミオ、ロミオ!あなたはどうしてロミオ
なの」(Romeo, Romeo! wherefore art thou[(why are you ~?[中村注])]
Romeo?) で始まるいわゆる「愛の主戦場」のバルコニーシーンである。ジュ
リエットは次のようにいう。以下最新の訳で示す(河合洋一郎訳『新訳ロミオ
とジュリエット』角川文庫)。

「私の敵は、あなたの名前。
モンタギューでなくても、あなたはあなた。
モンタギューって何? 手でもない、足でもない。
腕でも顔でも、人のどんな部分でもない。
ああ、何か別の名前にして!
名前がなんだというの?バラと呼ばれるあの花は、
ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない。」(以下略)

“Tis but thy name that is my enemy;
Thou art thyself , though not a Montague,
What’s Montague? It is nor hand, nor foot,
Nor arm, nor face, nor any other part
Belonging to a man. O, be some other name!
What’s in a name? that which we call a rose;
By any other name would smell as sweet;....
(Tis →It is but→only thou→you thyself→yourself)

この芝居を観た(というよりは聴いた)年輩の女性が「なによ、いつも使っ
てることばばかりじゃないの」といったというエピソードを読んだ記憶があ
る。その真偽のほどは保証できないが、十分あり得る話だ。そのくらい、シェ
ークスピアのセリフは、今日の日常の会話に生きているということだ。
上述引用の原文の構造は、高校2年生なら少し説明されれば理解できる程
度の基本的なものである。少々厄介に見えるのは、最後から2行目の文
(that which~)だ。(この部分、別の原典では改行してThat which we call a
rose/ By any other name~となっている。) そこで、その文を次のように言い
換えてみよう――、What we call a rose would smell as sweet even if it were
called by any other name. なんだ、知ってる文じゃん。さよう、けっして難
文とはいえないだろう。このカラクリが分かれば、もうシェークスピアはやめ
られない。
最後に一つ。What’s in a name?(「名前には何があるのか」→「名前ってな
によ」)は、これほど誰でもわかる平易なことばを使いながら、事柄の奥行き
の深さを含意していることばも少ない。たとえば、「敗戦」を「終戦」と言い
換えられたのは、専門家(言語学者)なら、それは言語記号の恣意性(しいせい)にあると
いうだろう。それはその通りだ。しかし、そんな難しいことをいわないでも、
「人はなぜウソをつけるの?」と、問うだけで十分だ。What’s in a name? が
提起している問題は、中学生から大学の先生まで議論の対象になる。シェークス
ピアは、稀代の意味論学者でもあったのだ。
最後にもう一言つけ加える。希望者が対象だったとはいえ、高1・2年生で
シェークスピアを読んだなんて、今年の中3の学力テストの幼稚な英語の問題
を読むとまことに隔世の感を深くする。

[追記]
残念ながらここまでで女子部篇を終えざるをえない。個人に触れるとなれば
この何倍ものスペースが必要だ。それでも少しばかり触れておく。
(1) 8回生の大竹由紀子さんは現在行政相談委員の仕事をしている。委員
は「日頃不自由に感じている国の制度について、総務大臣に直接、意見をい
え、かつ、制度改善にまで、要請できる立場にいる」そうだ。我々は、こうい
う国家的レベルの仕事をこなしている彼女を誇らしく思う。一方、地の塩と
なって活動している卒業生もいるはずだ。そういう卒業生たちの動静もこのよ
うなメディアを通して知らせてくれると有益ではないだろうか。
(2) 6回生の田島浩子さん、8回生の園田多希さん、大橋正子さん(すべて
旧姓)の三人は、ぼくが組織した成城大学英語教育研究会に、ある時期からほぼ
毎回出席してくれている。南山との深いつながりを思わずにはいられない。修学旅
行で瀬戸内海を見て、「地中海」と叫んだのは田島浩子さんだった[連載2]。そ
の田島さんは大学の英語教師の娘さんを連れて講演を聞きに来てくれたのだっ
た。その娘さんから「母が2月に亡くなった」という連絡が届いた。彼女は今
でもぼくの心に語り続けている。「不思議なご縁」などの陳腐なことばでは説
明がつかないほどの精神的つながりを感ずる。
(3) 東京在住だった8回生の榊原祥子さんは、胃癌で若くしてこの世を去
った。ある時、電話をかけてきて話の最後に、「さようなら」といって電話を
切った。やがて彼女の訃報が届くのだが、あれはぼくに別れを伝えるためにか
けてきた電話だったのだと気がついた。でも、今更どうにもならなかった。こ
のようなエピソードはエンドレスだ。こういう濃密な思い出を残してくれた女
子部の卒業生の皆さんに、そしてそうした生徒を育てられた南山学園
に今更のように感謝の気持ちで一杯だ。

*次回「記憶の中の南山の教育 (5)」は、こちら

プロフィール 中村敬先生
南山中・高(英語)の在職期間…昭和30年4月~昭和41年3月
1932年豊橋市生まれ
南山大学英語学英文学科卒業
英国政府奨学生(British Council Scholar)としてロンドン大学留学

主な著書:『イギリスのうた』(研究社)、『私説英語教育論』(研究社)、
『英語はどんな言語か』(三省堂)、『なぜ、「英語」が問題なのか?』
(三元社)、『幻の英語教材』(共著、三元社)、
『英語教育神話の解体』(共著、三元社)など

検定教科書の代表著者:中学校英語教科書The New Crown English Series(三省堂、
1978~1993)、高等学校英語教科書The First English Series(三省堂、1988~1995)

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