vol. 145 中村 敬先生「記憶の中の南山の教育(5)」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2019年11月30日

vol. 145 中村 敬先生「記憶の中の南山の教育(5)」

■女子部から男子部へ
女子部で5年間教鞭をとった後、男子部に移った。移った理由の一つは、男子
部の英語教育に批判的で、実際に教えてみたくなったからである。それは、若々
しい情熱ともいえるが、何も知らない若者の自信過剰でもあった。移籍には中一
から教えるというのがぼくの条件だった。男子部はその条件を認めた。そこで、
男子部への移籍が決まった。最初の学年が19回生で、今でも数年に一度招待さ
れて旧交を温めている。入学式の日、現在、国の指定(1998)の登録有形文化財とし
て保存されている講堂で式を終え、新入生を連れて男子部の校舎に向かった。女
子高校生を教えた後では少々勝手が違ったが、ぼくにとっては、生徒はみな同じ
だった。式のときに新入生を代表して宣誓を読んだのは、紅顔の美少年・林潔君だ
った。今でも当時の面影を残している。

何しろ自らの意思で男子部へ移ったのだからそれなりの覚悟があってのこと
だ。実践した英語教育は熾烈を極めた。相当犠牲者も出た。第1回目の授業で、
英語を勉強して将来何をしたいのか、夢を語ってもらった。通訳になりたい、翻
訳家になりたい等々、夢を語る生徒たちの瞳は輝いていた。あの生き生きとした
表情は忘れられない。今日白馬村で中学生に出会うと、どんな夢を持っているの
か聞いてみたい衝動にかられる。使用していた教科書は、Jack & Betty だった。
ただし、2年生から新たに発行されたJunior Crown(三省堂)を使った。Jack &
Betty は、タイトルからして、植民地(アメリカの属国)的だったが、英語科とし
て決めたことだったから今更変更はできない。それに検定教科書なら何を使っ
ても大差ないだろうと思っていた。
Junior Crown は、当時英語教育界を席巻したアメリカ産の構造言語学の産物
で、Junior Crown は時代の先端をゆくものだった。これは後で気が付いたこと
だが、著者はアメリカ人のW.L.Clarkで、題材は
ほぼすべてアメリカだった。その点はJack & Betty と変わらない。日本の生徒
がひたすらアメリカ人の視点からアメリカを学ぶというのが両者の基本的思想
だった。それから60年後、ぼくは、『英語教育神話の解体』(2014)で、視点の
本格的な逆転を行った。日本人の立場から外国を観る。そして英文自体も日本人
のぼくが、日本人の立場で書いた。ただし、この逆転はぼくが代表著者の一人で
あった中学校の検定教科書New Crown の初版(1978年、三省堂)で始めて
いたことだった。

■Twenty Stepsを中心に据えて
その頃の男子部の中学校は、4クラス編成で二つのクラスをぼくが受け持っ
た。1週間の英語の時間は7時間だった。ただし、ぼくの記憶が正しければの話
だが。その中の2時間はアメリカ人の神父のラフォージ先生だった。ぼくの持
ち時間は5時間でほとんど毎日生徒と教室で顔を合わせることになった。この
時間構成は私学の特性を十分に生かしたもので、制度としてはこれ以上望めな
いほど英語科は優遇されていた。
その結果、公立中学校を基準にして作られた英語の教科書は1年を数カ月残し
て1冊を終えてしまった。しかし、退屈な検定教科書と付き合い続けるのは嫌
で教科書以外の読み物も使った。核になるものとして当時、一橋大学の教授だっ
た佐々木高政さんの『英語の学習20の階段』(The First Twenty Steps in the
Study of English、1958)を選んだ。理由は、教科書では英語の構造を集中的に
そして体系的に身に付けることは難しいと考えていたからである。その点、生徒
たちがTwenty Stepsと呼んでいた佐々木さんの本は、英語の基本的構造を身に
付けるのにうってつけだった。 S+Vの構造から、現在完了進行形に至るまで
の構造について、例文とそれに対応する日本語が併載されていた。授業ではその
日本語に対する英語が口をついて出るようにした。
それは習慣形成法的教授法で、これが後年どんなに役立つことになったか、同
窓会でしきりにぼくを持ち上げてくれた。しかし、この習慣形成法的教授法には
落とし穴があった。それだけなら深くモノゴトを考えない人間を創り出してし
まう。そのような人間の行きつくところはせいぜい「英語屋」どまりである。(源
氏鶏太『英語屋さん』[初版、1951年]集英社文庫)

■『アメリカ風物鶏肋集』
そこで男子部で実行したのが教科書とは当面無縁の話を1時間潰して話すこ
とだった。その中で、一番記憶にあるのが、吉田正俊『アメリカ風物鶏
肋集』(大修館、1962[昭和37]年)だった。「鶏肋」(ケイロクと読む)とは「鶏
のあばら骨」(鶏がら)。それは、「たいして役に立たないが、捨てるに惜しいも
の」の意。風物にかかわる知識は、捨てるのに惜しい話とは、控えめな言い方(著
者は、「鶏肋集」は元来謙遜した表現、と書いている)で真意は、英語をとりま
く背景を深く知れば知るほど、英語の奥義が分かるというものだった。
たとえば、Lady firstが象徴する女性に対する形式上の慇懃(いんぎん)、あ
るいは女性崇拝文化は、中世騎士道(あるいは、宮廷恋愛)が起源で、それは
イギリス民謡「グリーンスリーヴズ」(Green Sleeves)に形象化され、更に下っ
てはビートルズの、たとえば、Yesterdayに繋がる。吉田さんの話はこのビート
ルズには届いていないが、それは、何世紀後の今日価値観が反転して#MeToo思
想を生み出した。あるいは、Lady firstの思想の本来の地点に戻ったというべ
きだろう。著者の吉田さんは、たとえば、「結婚すれば貞操が要求されるのはい
つも女性ばかり」といった女性蔑視の習慣の変わらなさを突いて、シモーヌ・ド・
ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908~1986 )のことばを引用している
――、「宮廷恋愛はこういう形式道徳の野蛮さに対する補完であった」。
実は、この「鶏肋集」は、意外に人気を博したらしく全部読みたいという生徒
が出てきた。こうした生徒たちの中から生まれた“全国区”の卒業生の一人は、
コピーライターの真木準君だった。残念ながら夭折した。朝日にその追悼文が載
った。今回安井恒雄君(19回生)に真木君のことを尋ねたら、次のようなメー
ルを送ってくれた――、「真木君は博報堂入社後、独立して全日空、サントリー、
キャノン等企業の広告コピーを書いていました。朝日新聞のAERAのネーミン
グにも携わっていました。彼を有名にしたキャッチコピーは、全日空の「でっか
いどう。北海道」です。2009年6月22日急性心筋梗塞で永眠(60歳)」。

【追記】
男子部でもっとも懇意だったのは英語科の井上亮治先生だった。教育実習の
ときの指導教官でもあってよく話した。ぼくより10歳上だった。東京外語出身
で、岩崎民平、小川芳男、千葉勉など当時のそうそうたる先生方の講義ぶりをよ
く話題にした。話の全てが面白かった。その井上さんが昨年他界された。合掌。

*次回「記憶の中の南山の教育 (6)」は、こちら

プロフィール 中村敬先生
南山中・高(英語)の在職期間…昭和30年4月~昭和41年3月
1932年豊橋市生まれ
南山大学英語学英文学科卒業
英国政府奨学生(British Council Scholar)としてロンドン大学留学

主な著書:『イギリスのうた』(研究社)、『私説英語教育論』(研究社)、
『英語はどんな言語か』(三省堂)、『なぜ、「英語」が問題なのか?』
(三元社)、『幻の英語教材』(共著、三元社)、
『英語教育神話の解体』(共著、三元社)など

検定教科書の代表著者:中学校英語教科書The New Crown English Series(三省堂、
1978~1993)、高等学校英語教科書The First English Series(三省堂、1988~1995)

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